杉山正康(医学・薬学博士)/ 2004年

薬剤師の存在価値は、薬剤師が決めるわけではなく、医師、患者が薬剤師に対して判断するものである。つまり、薬剤師が医師、患者にとって、必要な存在であるか否かということになる。「薬剤師の存在価値」を語るには、私が薬剤師として実際に仕事を始めたときのことをいつもお話しすることにしている。なぜなら、私が新人薬剤師の頃は、薬剤師としての存在価値がなかったような気がするからである。

私は薬学部を卒業後、医学部での基礎研究(生化学)を13年間携わっていたので、薬局の薬剤師として仕事をはじめたのは10年前からである。基礎研究に携わっていた頃は、毎日研究に明け暮れ、充実した仕事をしていたように思える。「なぜこのような結果がでるのだろうか」と、得られた結果の発現機序を徹底的に究明するため、様々な研究計画を立て実行し、それが解明されると喜びを覚えていた。研究を生涯の仕事として、継続することに強い自身があった。将来は教授になり、「若い優秀な研究者を育成したい」と夢も持ち始めていた。しかし、実際は、「人との出会いは、人生を変えてしまう」とはよく言われることだが、夢打ち砕かれ終わってしまった。しかし、研究時代に得た「何事にも疑問に思ったことは、納得するまで追及する」という姿勢が、「薬の相互作用としくみ」という本を書くことにつながり、また学生講義は、「判り易く患者に薬の説明をする」という服薬指導に役立ち、更には「有能な薬剤師を育成したい」という思いが、今に引き継がれているような気がする。

研究を続ける手段もあったが、薬剤師としての本来の姿に戻ることがベストであると判断し、将来は薬局経営でもできればと、調剤薬局の門を叩いた。研究生活時代には、臨床的な薬剤師の仕事をしたこともほとんどないのに拘わらず、「薬剤師は患者に尊敬され、頼りにされるもの」、つまり「医師、患者に対して存在価値のある仕事」と自分なりに薬剤師像を描いて、薬剤師であることに誇りを持っていた。しかし、自分が想像していた薬剤師像とは全く異なることに直面してしまった。まず、患者のそっけない態度、薬を早くもらえばそれでよいという態度には驚いた。また、他の薬局薬剤師の話しでは、「いろいろ患者に説明せず、ただ黙って薬を患者に出すように」などの指示する医師が存在することを知った時、薬剤師は、ただの事務的な存在でしか評価されてないことにも驚いた。私がそう思ったのだから、大学卒業したばかりの新人薬剤師は尚更のことだろうと思う。私の場合には、医師が私に一目おいてくれていた。それは、私の経歴を知っていたことも大きな要因であったのかもしれない。

なぜ薬剤師不在でよいのか、「医師や患者には薬剤師の存在価値があるはず」と、いろいろ考えてみた。医師の場合は、まず薬の専門家ではないし、全ての薬の薬理作用、副作用・相互作用を考えて処方するのは不可能であり、薬を間違いなくパーフェクトに処方できるとは思えないし、また薬を処方するに当たって相談したいことなど、薬剤師の存在が絶対的に必要である。一方、患者の場合は、病気、薬に対する不安、生活習慣のアドバイス、血液検査結果の解釈など、薬剤師に聞きたいことが山ほどあるはずである。私が患者でも医師に病気、薬のことなどについて根掘り葉掘り聞くのはできないし、患者が多いい病医院ではなおさら無理である。

要約してみると、医師に対する薬剤師の存在価値は、「薬学的知識」であり、患者にとっての薬剤師の存在価値は、「患者の疑問を解決してくれる人」で、これを説明する手段、つまり「服薬指導の充実」に集約されと思う。残念ながら、新人薬剤師では(私も10年前は、卒業したての新人薬剤師と同じである)、医師が及びもつかないくらいの薬の知識がない、ましてや経験もなく、適切な指導者も不在であり、自分自身で勉強したことに不安を持ちつつ患者や医師に説明し接するしか方法がなかった。つまり、薬についての基礎、臨床的知識がなさすぎて、患者や医師に信頼される存在価値のある薬剤師には程遠いと直感した。それならば、「医師に有無を言わせないくらいに薬の知識をつけよう」、患者さんに「なるほど」といわれるような服薬指導をして、薬剤師としての存在価値が得られるように努力をしようと。

まず、「薬学的な知識」を総括的に得るには、薬物相互作用を理解することが最善の方法であると思った。なぜなら、相互作用を理解するには、薬の薬理作用のみならず、薬の体内動態をも把握する必要があるためだ。多くの相互作用の本を購入し、読みあさったが、薬の相互作用を単に羅列してあるものが多く、これでは相互作用を理解することができないと強く感じた。単に薬の個々の相互作用を理解するのではなく、その発現機序から相互作用を把握できないかと考え、相互作用を発現機序からまとめていくと、以外にも多くの相互作用が一つの機序で分けられ、しかも添付文書にもないような相互作用も予測できた。2年間の積み重ねが「薬の相互作用としくみ」という一冊の本に集約できたのは言うまでもない。本を書くための2年間は、毎日が勉強であり、一人で本を執筆することが、想像以上に大変であることがよく判った。しかし、今思えば、短期間に総括的な薬学的知識を得ることができた。現在も、医学の進歩、変化に遅れないように、最新の情報を得るため、常に努力し続けている。これらの努力の継続により、学術的な面で医師に頼りにされていることが幸せである。

学術的知識を得る一方、患者の「服薬指導」を充実させるたには、以下の項目について適切に説明することが、薬剤師として絶対的に必要であると思っていた。

1)自分はどんな病気であるのか?

2)なぜ薬を服用するのか?(病気が理解できれば薬の服用理由が理解できる)

3)なぜ薬が効くのか?

4)どのくらいの期間、薬を服用するのか? 

5)薬の副作用の主な症状は?(出現した場合の対処)

6)飲み合わせの悪い薬・食べ物は?

服薬指導を充実させるには、これらのことを患者に適切に説明しなくてはならない。それには、まず経験の積み重ねと、様々な薬剤師の経験談を聞くしかないと思い、薬剤師会主催に講演会などにも当初は多く参加させて頂いた。しかし、演者は医師が多く、病気についての知識は得られたものの、同じような講演会が多く、また薬剤師としての立場からの症例は少なく、講演会への出席が遠のいて行ってしまった。つまり、自分自身で服薬指導を確立するしかなかった。当初は、常に患者を自分の親、兄弟のように考えて服薬指導をして、学術的知識の不足をカバーしようとしていたし、「病気は薬で治るもの」とも思っていた。経験を積むうちに、「病気のことを本当に患者が理解しないと薬を服用しない」、「病気には精神的なものがかなりの要因である」ことや、どのような副作用が出現しやすいのかが判ってきた。また、学術的な最新の情報を患者にわかり易く説明できるようにもなった。今では、1)~6)について、自分なりの服薬指導を行っている。私の服薬指導方法が、患者に存在感を与えているか否かを自分自身で判断することはできないが、「こんなに説明していただいたのは初めてです」「こんな薬剤師に会った事がない」「先生のおかげで本当に助かりました。有難うございました。」などの言葉や、10年前の患者から病気や薬についての相談の電話が、現在もあることを考えると、私の服薬指導には間違いがないと確信している。患者から頼りにされていることが判り嬉しい。難しいことは何もない。ただ、自分が患者であると仮定して、聞きたいと思ったことを、得た知識を基に、判り易く説明しているだけである。

薬剤師は生涯勉学に勤しむ職業であるから、存在価値があるものと信じている。薬剤師個人の勉学は当然であるが、実際の薬局という職場に、常に勉強する環境が整っていなければ、現在の医学の進歩に見合う存在価値のある薬剤師は育つはずがない。事実、ここ10年間、医師会、薬剤師、薬学部、その他様々のところで積極的に講演会を行ったが、講演会を通じて薬剤師に感じたことは、講演会の開催中だけ勉強するのみで、継続ができていないことであった。実は、私が薬局を開業した大きな理由は、「私が、教育し薬剤師を育成するしかない」と結論したためである。学術的な知識を得るため、いかなる努力も惜しまないことを決意し、薬剤師が勉強できる環境を作る最善の努力をしている。私自身、常に最新の情報を得ようと努力し、得た知識を薬剤師教育に活かしている。「薬局で仕事をしていて、何も得るものがない」と勤務薬剤師が職場を転々とする話しをよく聞く。つまり、「薬局長、薬局オーナーなどの指導者は、常に高い学術レベルを維持し、勤務薬剤師が満足して勉強できる環境を整備しなくてはならない」と言うことである。指導者の自覚がなければ、長く薬局に勤務する薬剤師もいるはずはなく、存在価値のある薬剤師など育成できるはずがない。

生きがいとは何であろうか。趣味?仕事?それとも私くらいの歳になれば子供が生きがいという人もいるだろう。私は、「仕事がいきがい」とは断言できないが、薬剤師として多くの時間を裂いている「仕事」が楽しいほうがよい。それには、「薬に携わる医療人として、様々な知識を得て理解することの喜び、またその知識を医師、患者ひいては薬剤師に教え、感謝される喜び」があればよい。これまで述べてきたように、医師・患者に存在価値がある薬剤師になるためには、薬剤師個人の努力と、それ以上に指導者(薬局長、薬局オーナーなど)が自覚を持って勉学することが、不可欠であると実感する。現況では、いろんな意味で薬剤師が勉強する環境が整い始めているといえる。いつも勉強しなさいと言っているわけではなく、「薬局で暇な時間があるとき、何をしていますか?」「薬学的な知識を得るために何をしていますか?」「患者は病気と真剣勝負だから、薬剤師も真剣勝負ですよ。いい加減な勉強では、駄目なのですよ」と言いたい。「薬で何か問題があれば、私が全ての責任を持ちます」と患者・医師に言い切れるほどの高い学術レベルを持ち、存在価値のある薬剤師になるため、薬局長、薬局オーナー、勤務薬剤師がお互いに切磋琢磨して楽しく勉学に励むことが、永久に必要であるように思える。

平成16年 糸島薬剤師会雑誌 杉山正康